ぼくがどれだけくだらない人間かっていうのを説明するためのブログ。ハゲテマス。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
ちょっと前、神奈川に住んでいた頃のこと……。
とある駅前を歩いていると、グレーのスーツを着た40代くらいの女の人に声をかけられた。
「ねえねえ、ちょっと」
「はい?」と言って僕は立ち止まった。
女の人は間髪入れずに言葉をつづけた。
「あなたもしかして、芸術に興味ない?」
しばしの沈黙の後、
ある……! と僕は思った。え、なんでこの女の人にはそれがわかったんだろう。もしかしてエスパーなんですか。なにを隠そう僕はむかし映画の専門学校に通っていたし、芸術に興味がないわけないのだった。
「ありますよ」僕はこたえた。
「やっぱり!」女の人は小さくガッツポーズした。「なんかそんな感じがしたのよね。雰囲気あるっていうか――。もしかして、なんかじぶんで表現やってる人?」
やってる……! と僕は思った。当時僕は24、5歳、いろいろあって助監督の仕事は辞めたものの、自己表現の夢そのものは諦めきれず、シナリオやら小説やらをコソコソ書いていたのだ。
「そうですね……やってますね。まあ、表現と言えるほどのものではありませんが」
「ふうん、ところで」と、女の人はずいっと肩に力をこめて僕ににじりよった。「この近くにわたしの働くギャラリーがあるんだけど、これから絵画鑑賞なんてどうかしら?」
「絵画……」
「そう。今ならこの無料入場チケットあげちゃう。あなたラッキーね」
僕の胸の前に、無料入場チケットは差し出された。それはそれは立派な、ちゃんとしたチケットに見えた。チケットにはどことなく某有名版画家を思わせる(だが同時にどうしようもなく「あの某有名版画家とは別の人が描いたんだろうなあ」とも思わされてしまう)風景画が印刷されていた。
とはいえ、普段ならいきなり絵画鑑賞などと言われても付いて行ったりはしない。じぶん好みの絵があるとは限らないし、めんどくさい。
だが、その日の僕は、普段の僕ではなかった。
その日、僕はノートパソコンを買っていたのだ。高額な買い物のあとはテンションが上がっているものである。僕の右手にはしっかりと、購入したばかりのMacBookがあった。そして、道端で40代そこそこの女の人と話し込む数分前には、『パソコンを買った自分をほめてもらいたい』という理由でメイド喫茶に行っていたのである!(でもほめてくれなかった。金返せ!)
つまり……ひとことで言って僕は昂っていた。僕は、そのエネルギーの使い道をさがしていたのである。
「行きます」僕は言った。「どうか絵を見せてください」
「はい、決定」
ビリリ、と女の人はその場でチケットをもぎった。
――かくして案内されたギャラリーは、四階建てのビルまるまるひとつだった。外壁は艶のないグレー。なんとなくどっしりしたそのたたずまいに、ぼくは心の中で(もしかしたらほんとうに良い絵を見られるかもしれないな……)と思った。
女の人に先導されて中に入った。一階は静かだった。無人の黒いカウンターと、奥に階段があるだけ。「ギャラリーは二階から」という女の人説明に、僕は「そうなんですね」と納得した。
二階フロアに上がった。
そこで……、
僕は……、
おどろくべきものを目撃した。
それは……生足だった。それに、ふわっと香るいい匂い。居酒屋に入ったかと錯覚するような話し声。ただしほとんどが女性の声――。
絵画はオレンジ色の壁にたくさん掛かっていたものの、ほとんど目に入らなかった。
目についたのはたくさんの生足――いや違った――大勢の、お嬢様系の服を着た女子大生風の女性たちだった。
彼女たちはそれぞれ個別に絵画の前のイスにすわり、対面する男性たちと楽しそうに話し込んでいた。
僕はめまいを感じた。だって、そこにいた彼女たちはみんなモデルみたいに可愛かったから……!
僕は、自分を連れてきてくれたグレーのスーツを着た40代くらいの女の人に質問した。
「これは、なんですか」
「商談中なんです」女の人はこたえてくれた。「やっぱりいい絵を見ると、最初は買うつもりなんかなくてもみんな欲しくなっちゃうみたいねー。彼女らはみんなウチのスタッフですよ」
「買う?」僕は、耳の中に変な物が入ったような気がした。「ここは絵を買うところですか?」
「そうですよ。まあ、気に入った物があれば」
女の人はニコニコ笑顔である。
僕はもういちどフロアを見渡した。もう女子大生風スタッフの生足に目は行かなかった。
よくよく見ると、フロアにいる『商談中』の客たちは全員男だった。そればかりか、皆一様に見た目が似通っていて……僕みたいだった。
僕みたい、というのはつまり、メガネをかけていて、小学校時代からずっと変わっていなさそうな髪型をしていて(あるいはハゲていて)、チェックのシャツを着ていて、オシャレじゃない色落ちのジーパンを履いている、ということである。
彼らは皆、熱心に女子大生風スタッフの話に耳をかたむけていた。そしてときどきその視線は、女子大生風スタッフの胸元か脚に落ちるのだ。
僕はこう思った。
うわわわわ、ここここれって、もしかして、男をいい気分にさせて高額商品を買わせるなんちゃら商法じゃね??
さらにこう思った。
やばいやばいやばいやばい……!
そして、
はやくここから出ないと!
と、やっとのことで気付いたのである。
「ささ、どうぞご覧なってってください。わたしが案内しますので」僕を連れてきた40代くらいの女の人はすかさず言った。
てゆーか! もう気を使う必要などない! そう、この、厚化粧のおばちゃんは僕をフロアの奥へといざなおうとしたのだ!
「買いませんから!!」僕は言った。「すんませんなんか勘違いしてました。僕、絵を買うつもりはないんで! なぜなら金が無いんで! ついさっきパソコンという人生最大の買い物をしたばかりなんで!」
「そうなんですか? でもご覧になるだけでもどうです? 間近で見ないとわからない絵の良さってありますよ。もし買いたくなった場合のお支払い方法もご相談承ってますし……」
「いえ、帰りますから! ほんと、帰りますから!」僕はほとんど叫んでいたと思う。
「あらあ、残念。じゃ、出口まで送りますね」
意外とあっさりとおばちゃんは折れてくれた。ただし去り際、
「そうだ、本物の絵画は無理でも、ポストカードはどうです? お部屋にアートがあるだけで生活って変わる物ですよ。600円です」と僕にすすめることは忘れなかった……。
ポストカードは買わなかった。全力で断った。こんなギャラリーで買ったポストカードを部屋に貼る――? 想像するだけでぞっとした。
とはいえ、僕はこの体験を『なかなか味わえないおもしろい出来事』くらいにしか考えていなかった。話のネタができた、ラッキー。とすら思った。
後日、僕は居酒屋で、これ見よがしにこのエピソードを友人に語って聞かせた。
友人は笑って聞いてくれた。でも僕は不満だった。酒が入っていたためか、しだいに僕の中にある種の怒りが湧いてきたのからだった。
その怒りとは、
「なんで僕の担当はおばちゃんだったんだよ! なんでそこ女子大生風女子じゃなかったんだよ! 見た目でチョロいカモだと思ったのか!? くそう! 僕にも本気出してこいやアアアアァァァァァ! そしたら、600円のポストカードどころじゃない物を、買ったかもしれないじゃないかアアァァァァァ!」
というものであった。
そんな僕に、
「君はカモじゃないよ。ネギを背負ったカモだよ」と友人は冷ややかに言った。